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2017年後半星読み ~世界に宿る心のメタモルフォーゼ

2017年後半星読み ~世界に宿る心のメタモルフォーゼ

「星のまなざしセミナー 2017年後半 世界に宿る心のメタモルフォーゼ」まとめ(1)

 2017年10月に木星が蠍座に移動しその後約11か月在することを中心に、今の世界で展開されていることを深層心理的にまたスピリチュアルに読み解いてみました。そのほか根拠となる星は、山羊座の冥王星、魚座の海王星、牡羊座の天王星、そして射手座から山羊座に移る土星です。

 山羊座に移動する土星のディレクションのもとで、蠍座の木星をメッセンジャーとして表現していくために、山羊座土星のことも強く加味して述べるべきですが、そちらは「2018年前半星読み 世界の重心」で詳しく語る予定です。

 ここでは、人間誰しもが有し、世界にもある蠍座的資質を深く見ていきます。

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 現代世界に蔓延し始めた二極化、分離、反感、バッシング、ヘイトクライム、エスノセントリズム、そして自爆テロなどはどのような心理で起きているのだろうか…。

 <ディオニュソス神話による例え>
人間(アントロポス)というものは、大いなる霊的世界から一人ひとりが個人としてこの地に生まれてきて、自分のテーマに自我を作って生きていくが、独りでは自我の成長に限界があり、また大いなる外界(他者環境、自然宇宙)に融合したいというディオニュソス憧憬もあって、なんとか外界に同調し、小さな自我(個我)から大きな自我(真我、善我)に変容させて成長していこうとするものと考える。

 高い志の元に多くの同胞と手を取り合っていた高次の世界を、個をもってこの地上で再現、創造しようと再び他と繋がり合っていこうとする「帰依の感情」が人間にはあり、仏教的には「煩悩から菩提へ」というテーマに似ている。

 <身体快苦から生まれる心の快苦>

 しかし、どれほどの志があっても、人間の身体を持って生まれてしまうと、そこでは生存本能による「身体快苦」による判断が最優先されてしまう。人間は生まれるとまず自己保存し自己中心に生きなければ、生命の器である身体を保てないという定めに縛られているものだ。
 いつしか、その身体快苦による判断は心にも及び、「自分というかけがえのない個性を創り出そう」とする個別化の力を育てようとするものの、そのために、他に支配されないように騙されないようにと、自分と他者を比べ、他を批判し疑い、他を引き剥がし、反感、拒絶、自他の区別や差別という感情を育ててしまうことにもなる。
 前述したように個人が他者や宇宙自然との融合を目指すなら、そこには共感があって然るべきだが、共感を優先してしまうと、他を信用し何でも他と合わせてしまい、言われるがままになり、自分でいられなくなる、個性ある自分として生きてゆけなくなる…という怖れが沸き上がり、共感はしぼんでいく。

 そして、個別化と融合化、反感と共感。そうした闇と光を合わせたような煩悩の苦悩が、私たち人間の心の中で育っていく。

<変容能力:メタモルフォーゼ>

 こうした孤立した利己的なものを持ちつつも、それでも利他的なものに共感し融合に向かわせる力を、シュタイナーは「変容能力:メタモルフォーゼ」として「至聖の力、敬虔な感情」また「帰依の感情」と呼んでいる。

 この感情は、宇宙自然に溢れている「生きようとする意志:叡智の流れ」へ参入して自己を育てる力であり、「様々な本性の中へ、他者の中へ変容するときに見出される人間性の素晴らしさ」だとも言っている。

 しかし、私たちの感情には、わかりやすい刹那的な表面感情と、潜在意識に落とし込まれた深層感情(無意識層、阿頼耶識など)があり、日常のストレス発散などで処理しきれない深く根源的な思いがここに落とし込まれているために扱いはそう簡単ではない。根源的な思いとは、善悪もつけられない不安や恐怖、あるいは歓喜や願いなど様々で、時おり何かのきっかけで浮上してきては、その醜悪さに手を焼くものだ。

<利己的な自分中心の思考>

それを深いトラウマ、カルマなどといった捉え方は種々あれど、やはり、それでも人は自己努力でこれに対処し、解決しようと日々頑張っている。しかし、そこに頭脳による「思考」、とくに「冷たく科学的で排他的、自己中心的な損得重視の思考」(近代合理主義、主知主義のような)が入り込むと、ついには他への反感・拒絶の感情を引き出して、暴発させてしまう。この思考による無意識層の暴発場所をシュタイナーは「破壊のかまど」と呼んでいる。

心の深部で何とか頑張って折り合いをつけているものが、「利己的な思考」によって壊され深層無意識のフタが開き、本来は利己から利他へと向かわせるべき変容能力が、思考によって不正に適用され、「世界の平和のために」「地球のために」「悲苦を無くすために」という善意が強ければ強いほどの思いをもつ者ほどその犠牲になり、「善のためなら悪を叩き潰していい」「正しさのためには人を殺してもいい」と理屈付けて外へ投げ出され、「不正行為、嘘つき、不正支配、戦争、殺人」という暴力的な悪事を為してしまう。

「人間に元来、悪が備わっているのではなく、善意が翻って悪事を生んでいる」

そう考えていくと、人間の持つ個別化への意思、自己確立への力の取り扱いこそが人類の大命題となり、いかに内なる暴力性をコントロールするのかという認識が大切になっていく。


「様々な暴力性」

・抑制が効かず突発的に起こる暴力性

・殺すことによって癒される者がいる事実(心理的にも実際的にも)

・抵抗のための暴力ある(正当防衛)

・生存のために他から搾取するという暴力

・国家・経済システムという暴力的なダイナミズム等々

こうした私たち自身に潜む暴力性をしっかり見つめて向き合っていかないと、あっという間に「正しさ、良いこと」という定義名分を盾に暴発させてしまう。すでに人類が起こした過去の歴史における戦争や殺戮の数々をきちんと相対化して再認識しておかないと、人間は何度も愚行を繰り返す。ナチスのヒトラーやオウム真理教の麻原を罰すればよいだけでなく、そうした人物を作り上げたのは、ほかならぬ私たちである認識は重要だ。

とはいえ、人間存在に、身体、心や思考が備わっていること自体が諸悪の根源であると原罪的に悲観してはならない。生きることが悪であると短絡してはいけない。

 スピリチュアルに考えれば、人間に肉体、心、思考を与え、物質界という環境が与えられているのは、それが自我・魂にとって最高の試練の場になるからであり、その意味ではこの物質肉体、物質的な現実、社会という環境は、人間の持つこの変容能力を鍛える「宇宙意志の願いが込められている聖なる場」ともいえるのではあるまいか。 では、私たちは、「利己的思考」の言いなりになって、善意を悪として変容させるしか表現の手がないのかというと、そうではない。内なる思いや行為の善悪を見極める心のはたらき、変容の矛先をどこに向けるかを図る「良心」というものがある。(続く)

 

「星のまなざしセミナー 2017年後半 世界に宿る心のメタモルフォーゼ」まとめ(2)

<良心>

心のはたらきとして「良心」があると言ったが、心にそういう機能が元々備わっているというよりも、利己と利他、善と悪の間で揺れ動く中でゆっくりと育てられていく心の機能が「良心」である。しかも、その判断基準は思考にあらず、身体に落とし込まれた美意識がその正体。その思いや行為が「美しいか醜いか」、「心地よいか悪いか」が判断の決め手になる。

 良心は、自発的に起こるものではなく、他者との触れ合いで徐々に育っていくものだ。なぜなら、他者の価値観や美意識、好みと向き合う中で自分のそれも判るのであり、判ったうえで共感や同調、ときには妥協といったバランスによって、「共に知ること:con-science:良心」のはたらきを高めていくからだ。

 他者と共に知ること。自分を他者や自然と照らし合わせること。これこそが利他への憧れが利己に変容しないように、善意が悪に変容し暴発しないように、合理的思考による破壊を食い止めるストッパーになるのだ。あるいは、思考によって内部分裂してカオスのようになってしまったものを再統合しようとする努力といってもいい。

占星術的には、7~14歳の金星年齢域で、他者を通して世界の美を学び、吸収して自分の心のよりどころ「良心」として育てていくと考えている。

 そのために、しっかりと自分の中にある悪:暴力性と向き合うこと、対話することが大事である。この向き合い、対話を端折って急いで結論にもっていってはいけない、思考の思うつぼだからだ。感覚では面倒だから頭で解決してしまえと思考は急ぎ、せっかちになりがちだ。でも、正邪や白黒をはっきりつけず、どちらに転んでよいものかと迷い、踏ん張ること。その踏ん張る力を心の弾力ともいうが、いわゆる美意識、五感というバランサーがある(占星術的には金星のはたらき)。納得いくまで料理の味を探り、今日の自分に合う服を悩み選び、ときに音楽家のように作曲や演奏にありったけの時間をかけ、画家のように試行錯誤しながら一枚の絵を何か月もかけて描いていくように…。

 そして、利己と利他、悪と善に足をかけ踏ん張って耐えていくうちに、決めるべき答えやタイミングが訪れるはずだ。耐えて待っていると未来からの呼びかけが聴こえてくる。それを良心の声とも守護天使の声とも言う。
 あるいは、深層意識、潜在意識のなかで、揺れ動く思いを潜らせながら、希望をもって待っていること。その待つ力は信心の力というもので、大きく言うとこの美の根源はイデアであるから、未来から訪れるのはイデアのささやきなのだ。イデアとは宇宙自然を構成している真・善・美の想念のこと。

 <多様性のある感情を育てる>

 そもそも善意が、「自然というヒエラルキア存在から守られている」と他世界への共感感覚から起きてくるとするならば、同時に宇宙自然にたいする畏怖の念、恩恵を感じる敬虔な感情、感謝還元をもつ自分でありたいとも願うもの。

 善と悪に揺れ惑うことや、利他と利己に悩むことと同じように、個人を守りたい、自分らしい個性を作ろうと自己実現を図る一方で、宇宙自然の営み、他者世界に融合して関わりたい衝動も起きて、まったく悩ましいものである。
 同じ心のシクミなのだが、他世界に融合しようとすると個性が失われる怖れが出てくる。乳児から癖づいた快苦や自己保存の原則がはたらいて、怖くなってしまうのも当然であろう。自己葛藤を見つめる対話が出来たとしても他世界への融合を実行となると、二の足を踏む。これは社会に出てから、出る杭は打たれるがごとく個性を潰されてきた者にとっては最大な恐怖と映っていく。だからこそ、ここに大きなチャレンジがあるのだ。

 世界は、宇宙自然を眺めれば当然ながら、多様性あるものだ。同じ桜の木の葉でも、同じ葉脈を持っている葉はなく、同じ空から降ってくる雪といっても、同じ形の結晶はない。その意味で宇宙自然は多様なものだ。ただ、どれも同じ葉っぱ、どれも同じ雪と画一化して思い込んで見ている自分がいるだけで、その実体ではない。

 奇妙に聞こえるかもしれないが、だからこそ個別的意味と普遍的意味が合成されてみれば、他世界と融合した本来の自分が現れるのだ。決して本来の個性が消されることはないと言える。クラシックの名曲や古典絵画、あるいはポップスの名曲など、永遠に愛されるだろう文化芸術には、この普遍性がたくさん詰まっている。だからこそ、多くの人の心を時代を超えて感動させるのだ。

 そのために、まず自分が世界を多様に眺めること。世界にたいして開けていくことだ。そうでないと、自分のことも多様性をもって捉えることができない。さらに、融合のために一歩、勇気をもって自分をはみ出すこと。これは先に述べた「潜在意識に落とし込んで、世界から未来からやってくる呼びかけを待とう」とよく似た行為だ。(続く)

「星のまなざしセミナー 2017年後半 世界に宿る心のメタモルフォーゼ」まとめ(3)


 <潜在意識の表現とは:天王星・海王星・冥王星> 

 個人を普遍的世界に馴染ませる方法論として、次のことが挙げられる。(天体名は占星術で使うトランスサタニアン天体のこと)

 ♅:「驚くこと」(反感やニヒリズムを持っていては驚くことは出来ない)(霊視作用)
   対象となる物や人に驚くと、思わず知らずに関心が自分から離れて、相手に移っていく

 ↓

 ♆:「賛美すること」(霊聴作用)

   驚くと、相手を褒めたくなる。他を称えると余裕が出てきて笑みがこぼれてくる。
 ↓
 ♇:「融合すること」(霊的合一作用)

   賛美すると相手に溶け込みたくなってくる、抱き着きたくなる。

 じつはこれらは、アーティストたちがよくやっている行為だ。そうでない方でも音楽を聴いたり演奏したり、絵を鑑賞し描いてみたり、デザインしてみたりなど、日常でも知らずにうちにおこなっていることでもある。ただ一生懸命に対象と向き合って、ときには命がけで何かの行為に及んでいるときは、他者と自分、他世界と自分は一つに溶けていて、大いなる宇宙意志を共有している実感が得られているのではなかろうか。
 仏教的には、常寂浄土(いつでも浄土)であり、占星術的には、潜在意識を司るスピリチュアル天体の表現ということになる。

<宇宙・自然、他世界への参入、融合>

 さて、「かけがえのない個性」「自分らしさ」「自己アイデンティティ」「自己実現」等々を目指すために私たちは自我を強固に作り上げていくが、それがかえって「宇宙自然との調和」「大いなる世界への寄与、帰依」「他世界、共同体との連携」「人類通の普遍性」を目指しにくくしている。それでも多様なる世界へ社会へ自我を超えて広げていく努力があれば融合は出来るということでもある。目指しにくい理由は「小さな自我」(個我)だからかもしれず、小さなものは「大きな自我」(真我、善我など)に育てることでその希望は叶うと思っている。

 そこで、自分が知るところの個性ある小さな自分を捨てても、普遍のなかへ参入していっても、他者とまったく同じにはならず(同じ雪の結晶はない)、まったく別の個性として大きな自我が湧いてくるということをどれだけ信じていけるかだ。

 <他者において目覚める>

一人では自家中毒のように狂気でしかないものを、複数の他者が共感すると魔法が起こる。(ノヴァーリス)

無意識の中にはたらいているものを意識するとき、孤独な夢のように過ごしている人が「第二の共同空間」で目覚めることがある。一瞬でも5分でもその共同体を共にした後、それが「黄金の輝き」となって甦ってくる。

 一人ひとりが、ではなくて、互いに結びついて生命の気を流し合おうとする「文化の創造」が必要であり、自らの時代と戦うのではなく、自らの時代を自分の運命・条件として引き受け、その運命に自分を溶け込ませようとすることで「真なる自分」が目覚めていく。

他にたいして反感をもった「孤独な個我」から →→ 他に共感して「共同体と共働、響働する真我」へ

 自らを抜け出して、他と一つに変容することで、世界すべてのものに愛をもち関心を高め、繰り返し試みて周囲のすべてに愛をもつことが理想といえる。

 そして、宇宙自然、他世界への帰依が深まるほどに迷いがなくなっていくだろうと、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」(涅槃経)では、草や木、土など情のないものと思われるものにも、心や仏性はあるものだと諭してくれる。

<まとめ>

 長くなりましたが、占星術が考えるところの蠍座の深層心理は、「個より抜け出して他者と一体になり、共に成長深化しようとする想いを、思考によって壊されることなく、悪や暴力に傾くことなく、変容能力をもって、新しく大きな自我へと生まれ変わることを目指す」というテーマとして、語ってきました。

 これから私たちは、資本主義や近代合理主義の犠牲にならず、他を拒絶、排除することなく、どれだけ他を思いやり、世界を新しくするために、個を使って尽くしていけるかという大いなるチャレンジが待ち受けています。

 二極化、分離、対立という二見に依らず、真ん中でどれだけ踏ん張って待つことが出来るでしょうか。
厳しい現実に慌てながらも、光に向かって少しずつでも歩んでいくことをお互いに支え合っていけたらという、願いをもって語りました。(了 2018年2月)