星のまなざし

土星 観望 ①②③

魚座に入った土星について、Facebookで思うがままに書いたことをここにまとめて転載しておきます。
心理占星術的に霊性のまなざしをもって書いています。

【土星 観望①】

昨夜、天空を巡る土星が魚座領域に入りました。

1サイクル前、土星が魚座にあった頃は1994年~1996年。

日本ではこの2年、もっとも記憶に残っている凶悪な行為であるオウム真理教による松本サリン事件から地下鉄サリン事件。

そして宗教とは何か、新興宗教やカルト集団など表面化してメディアでの議論が沸騰していました。

それに端を発し、宗教への関心から哲学ブームにもなり1995年に「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル著)がヒットしました。

 

さて、今回2023年3月~2026年初めの期間ではどんな示唆が与えられるのでしょうか。

以前の例にならえば、やはり宗教や哲学の本質について、スピリチュアリティに関することは必須の課題でしょう。

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[個人的なことでは]

・その頃、僕は漫画業が忙しいながらも、渋谷産経学園のルネ・ンヴァン・ダール占星術教室で、門下生でもないのに講師として教え始めていました。

・松村潔氏(目黒占星術研究会)、鏡リュウジ氏(まだ大学院生)と知り合い、心理学的な占星術の在り方を目指すによき刺激となりました。懐かしいですね、もう30年以上経ちます…。


【土星 観望②】

天空を巡る土星が、この魚座一つ前のサインである水瓶座に入った2020年から世界は新型コロナウィルス騒動に巻き込まれていきました。

これからの魚座土星を観望するにあたって、この3年ほどの水瓶座にあった土星効果を考えておきます。

 

真実はどうであれ(真実はいつも多様)、事実として、誰もがスティホームさせられながらもネットではつながり、地球という一つのホームに暮らす住民であることを認識させられました。

そして、人間はとても脆弱な生身という自然(身体)を保有していることを痛感し、さらに唯物的資本主義や利己的エゴの暴走による行き過ぎた自然環境破壊を静視させられ、身体同様に大いなる自然から一歩下がらざるを得なくなりました。

この「一歩下がって全体を判断する」という意味が水瓶座的なことです。

なぜならば、水瓶座領域が、霊的太陽系の周縁から地球へ降りる第1ゲート「始まり」を象徴すると私は考えているからです。

そのマクロな視座から人間を含む地球という生命身体を捉え直し、省みさせることに土星の役割はあったのではないでしょうか。(2020~21年は木星も土星と共に水瓶座を運行)



【土星 観望③】

霊的太陽系の最遠周縁から地球へ降りる第1ゲートである水瓶座の象徴「霊の降下の始まり」(天から注ぎ込まれる霊性)とするなら、第2ゲートである魚座領域への移動は、注ぎ込まれた霊性の海の中で泳ぎ回る生きとし生けるものすべてへの「霊的価値づけ」。

それぞれに目的をもった普遍的な価値群を、お互いのために自由に役立て合う(泳ぎ合う、交換し合う)コミュニティとしての地球のとらえ方ですから、そうでない現状を土星は直視させるでしょう。

人間のエゴによる無駄な自然生命の殺生、金銭目的のための自然生命の売買、各地の原住民(先住民)たちの救済、資本主義的ビジネスの誤謬などが表面化する必要があります。

その解決法としては、これまでの人間本位の考えから「自然本位の考え、霊性本位の考え」に切り替えることが検討されます。

とくにビジネス化した宗教やスピリチュアリティ、医療や農林水産業など、本来ビジネスが成り立たないはずの「いのちの保護」分野について、金儲けという膿が出てゆくことを願います。

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そのために、自分が何ごとかを行おうとするとき、世間の思惑や決まりを考慮するのではなく、自分が「善かれ」と信じることを自分個人の自由な判断、自分の責任で行う姿勢が必要です。

「善かれ」は、世間の正しさでも、天から与えられた能力でもありません。

自分の良心に正しくあることですが、これが自分一人ではつくられないものなのです。

良心とは、「善きこと、悪しきこと」を見極める心の働きで、その相手との関係やその場の状況によって判断が決まります。

その瞬間の判断に霊性が豊かに含まれていると、美しくなります。

ですから、初めから自分の中に確固とした論や判断があっては、良心が育たないのです。

固まった態度が批判、評価、文句、上から目線、へり下りというもので、醜いものです。

自分を大切に愛し、そして自分と同じように他者も大切に愛してゆく。

 

その想いを胸に来る2025年への準備をしていきましょう。

 

<了>