<心理占星術へのいざない> ④
「人生について」
相談職とも言えるこの仕事を続けていると、その方の人生に立ち会うことが多くなります。
そのために、人生観、生命観、社会観などのまなざし(哲学や観方、視点)を自分なりにもっていないと俯瞰的アドバイスができないと感じます。
でも、アドバイスとはいえ、その方独自の幸福観や充足感はもちろんあるわけですから、批判や否定、裁くことなく、また、自分の幸福感や倫理を押し付けず、大きなまなざしから(占星術の場合は星や宇宙の観点)照らし出してゆくことで、必要な気付きや方針を見出してもらうためになります。
そこで、自分が心理占星術の中心に置いている人生観や出逢い観のいくつかを載せておきます。
「人生とは」
・自分の生年月日(バース・チャート)、両親(家系的ルーツ)、時代や土地文化(育成環境)などは、「宿った命:宿命という資質」として変えられないが、その資質の使い方は「命の運び方:運命」は変えられるとする。
そこに自由意志という「魂の学びと成長」を観て取ること。
・どんな状況にあっても「自分が変わる」ことだけは出来る。
自分の変わる道だけは、いつも私たちの前に開かれている。
それこそが決して奪われることのない「希望」である。
・違う魂と出会うことによって、自分(魂)が照らされ、自己創造へ向かってゆくプロセスとなる。
しかし、違いは時として、行き違い、誤解、違和感、仲違いが生じて、自己破壊や他者破壊につながってしまうこともある。
・自分の満足のいくように満足のいく自分を創ってゆくことが主目的。
だからこそ「汝は汝の道を行き」、人々は「語るに任せておく」こと。
・この光と闇が混在するカオスの世界で(一人ひとりが揺れ動く世界に道を拓く時代)、経験を重ねる中から、私たちが発見し引き出すことのできる、「意志と知恵」こそが、魂の力となってゆくはず。
・人生において、「自分を見失わない」ということは、常にいくらかでも、社会やお世話になった大切な人たちへの恩に報いようと、燃える心を持ち続けることではなかろうか。
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「出来事や出会い、別れとは」
私たちの人生は、「出来事や人との出会い、別れによって作られてゆく」と言っても過言ではなく、セッションにおいての相談の半分以上は、遭遇しているその出来事や出会い、別れの受け止め方です。
他との遭遇ばかりではなく、自分の心の衝動や病気といった心身の変調との遭遇まで入れるとそれはもうほとんどで、将来の相談であっても、それは未知との遭遇を推理してゆくようなものです。
そこで、「出来事や人との出会い、別れ」について、私なりのまなざし、考え方をお伝えしておきます。
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・すべての存在、森羅万象が意味と目的をもっているなら、起こる出来事や出会いは、「偶然ではなく必然であり、その心においては当然なり」。
時代なのか、人類進化のせいか、その心においては、予感とか予兆という感じで既視感持っている方も多くなりました。
あるいは、それをちゃんと認められるようになってきたとも思います。
・「偶然」という現実の処理は、自分を現実世界から切り離してしまうこと。
間違いやすいのは、それを客観性と思い込むことで、本当はその現実を我が身として受け止められない、現実を拒否するニヒリズムだということ。
・一見すると意味なくバラバラに、偶然のように起こったように見える出来事でも、全体の意味を含んだ特別な「自分という星座」(コンステレーション:ユング心理学)が織りなされているまなざしをもつこと。
いつでも私たちは、現在の状況を「自分の星座(コンステレーション)のなかの一つの星」と捉えられずに慌てるが、後に振り返ってみると気づけることがある。
・出来事や出会いは、時として自分と対立し、邪魔するもの、障害と映りやすい。
あるいは、出来事や出会いは、私たちの人生への「示唆」であり「気づき」となるもの。
運が悪いとか、ツイてないとか思うハプニングでも、幸運へのプロローグだったりします。
また、その困難を生き抜くことによって、その経験がブレイクスルーとなって新たな自分自身を創ることもある。
だからといって、ときには避けること、止めること、逃げることも意味を持つので、この判断がもっとも難しい。
・「自分があって、別世界に様々な事物、事態がある」のではなく、「出来事はつねに私たち自身の一部」であり、私たちを「成り立たせるかけがえのない未来へのリソース(資源)」と考えてゆく。
・私たちになくてはならないものを提供してくれるものが「将来、未来」。
だから、「未来を信じること」と「自分を信じること」は同義語なのです。
<心理占星術へのいざない>了
<心理占星術へのいざない> ④
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